クッキーの昇天
こんにちは。
今までで一番長く続いたゲームはクッキークリッカーです。
少し前に流行ったインターネットでできるゲームです。クリックすると得られるクッキーを消費しクッキーの生産効率を上げるゲームです。生産設備が整ってくると一秒間に何千億とか、それ以上の知らない単位のクッキーを得ることができます。不労所得。いい響きです。人生もこういけばいいのに。
クッキークリッカーを見ていると癒されます。日々生きていて、どうしても避けられない面倒ごとに巻き込まれたり己のしょうもなさにがっかりすることもあります。どんなに簡単で単純な甘々人生を歩んでいても人間ですから苦しみからは逃れられません。その現世の苦しみから離れたところに毎秒増え続けるクッキーが存在しているように思えます。
クッキーというのは、おそらく金銭、富の比喩なのでしょう。しかしクッキーです。焼き菓子です。いくら増えたところで無意味です。もしもこれらが実存する菓子だったのなら売ったり、飢えに苦しむ人に差し上げたりできたのに、いかんせん仮想菓子です。ただ増えていく数字でしかありません。何も表していません。無力です。
ゲームを始めたころは一回ずつクリックして、増えていくクッキーを楽しみにしていました。何枚たまったら工場を作ろう、それとも新しいクッキーの種類を増やそうか、得るクッキーの数は多くはありませんでしたが希望に満ちていました。
楽しかった日々は過ぎ去り今では何もせずとも天文学的単位のクッキーを得ることができます。別のウィンドウで確認しに行ったらゼロがたくさん並んで枠の外にはみ出ていました。
大きすぎる数字は私の手を離れ、どこか遠くのことに感じさせます。最初のころの、クリックして得た1、10人のおばあちゃんが焼いてくれた10は、確かに私にとって意味がありました。いつから世界はこんなにも無味乾燥になってしまったのだろう、ああ、絶望です。数字を増やし続けた果ては虚無でした。
画面の中の存在しない世界を搾取して、汚染して、冒涜した。そうして作られた底のない穴は延々と続くクッキーで編まれています。
もしかして、私の現実にある人生もこの虚と同じなのではないでしょうか。
こうして生まれてからたくさんの経験をしてきました。呼吸や心臓の拍動、生存している時間は増えていく一方です。今では新生児のころとは違い歩くことも、自力で食事をとることもできます。しかし、これに何の意味があるのでしょう。
成長のため、さらなる発展のためと積み重ねた努力も、無意味な数字なのではありませんか。私がほんの少しだけみんなのためと我慢した結果も無い、あの時の厳しい一言で成長できたという美談も本当はないのではありませんか。友と流した涙も、人々とのいがみ合いも、先の見えない努力も、ただ無為に増え続ける数字と同じで本質は虚無なのではありませんか。
何もないというのは一見すると寂しいかもしれませんが、意味なんてなくてもよいという救いだと思います。
画面ではクッキーが増えることをやめません。その前に座る私も、生きることをやめません。
癒される。
さようなら。