理想

私は高性能コンピューターを起動し、おはよう我が子たち、と微笑みかける。
50年前、人類は地球を脱出しこの惑星を巨大な実験施設に作り替えた。私はこの星に常駐する科学者で、ただ一人代用人格を作り出す権限を持っている。

代用人格というのは artificial personality (AP) とも呼ばれる。
コミュニケーション力が重視される社会において人間の補助をするべく開発された。内向的な人間は社交性が求められる状況において苦痛を訴える傾向がある。そこで人類はそういった人々の人生における幸福度を高めるために代用人格の研究に着手した。
研究は困難を極めた。何世代にも渡り研究結果が受け継がれ、更新され、破棄されてきた。苦難の道を乗り越えて人類はとうとう健全で朗らかな人生を保証する代用人格を完成させたのだ。これによって非社交的な人格は矯正され、正しく幸福な人生は全ての人間の手に入り得るものとなった。

代用人格の完成に当たって、健全な人格を保有するものを手本とした。
それが私の一族だ。私はこのことを誇りに思う。だって、人類の手本になりうる健全な人格だと認められたという事だからだ。
人格に影響を与えるのは環境要因も大きいが、外交的、内向的指向、精神病罹患率は遺伝要因に依るところが無視できないらしい。そこで代々健全かつ社交的な形質が顕著だった血統、私の祖母が代用人格のプロトタイプの原型となった。

いま私はコンピューター上に存在する代用人格の胎児とも言えるプログラムに教育を施している。健全な人格のためには愛情が欠かせない。その愛情も健全なものを正しく与えなければならない。失敗は許されない、しかし私は私の母にされてきたように我が子に愛を注ぐ。間違いようがないのだ。理想的な人格が保証されているのだから、間違えられる訳がない。

仕事がひと段落した私は気分転換に外へ出かける。
空は曇っているが、気持ちは晴れ晴れとしている。無性に鼻歌を歌いたくなって、足取りが弾む。
低気圧で頭が痛いけれどそんなことは関係ない。今日もとてもいい一日になるだろう。
すると久々に会う知人に出くわす。ああ、やはりツイている。私達は笑顔で朗らかにあいさつを交わす。
心配しましたよ、と知人が笑顔で話しかける。
心配? 心配することなんて何もないではありませんか。こんなにも期待に胸を躍らせているのですから。
いえ、あなたが病院で代用人格の施療を受けたと聞いたので、無事に健全な人格を定着させられたかどうか心配していたのです。
おや、それは御心配をおかけしました。この通り私は幸福で外向的で社交的な健全な人格を持っていますよ。

とうとう地球は正しい人格だけが存在する幸福の惑星となった。