よくない話

梅酒を見ると始めて酒を飲んだ日のことを思い出す。

あれは16歳になる年の正月だったはず。私は両親と妹と一緒に田舎に住む祖母の家に遊びに来ていた。祖父の喪が明けてから初めての正月で、私たちは寂しいながらもにぎやかに年末年始を過ごした。
昼間からビールを飲んで屠蘇気分の両親をだらしがないなと内心軽蔑しつつ、面白くもない駅伝を眺めていた。酒が飲めれば退屈な正月も面白くなるのかな、と不思議に思っていると祖母が私に、
「チヨちゃん、お酒を飲んでみないかい」
と話しかけた。祖母は孫に甘いところがあるし、昔の価値観で未成年飲酒に抵抗がないのかもしれない。今になってそう思う。
「子供が酒を飲むのはよくないよ」
と私はプログラムのように返した。が、内心興味津々だった。よくないとは言ったものの、悪いことに興味のある年ごろでもあったし、祖母のことは大好きだった。飲んで慣れておいたほうがいいという祖母の言葉に押されて、彼女が漬けた酒をお猪口に一杯飲んでみることにした。

白い蛇の目のお猪口には濃褐色のとろりとしたお酒が注がれていた。
においを嗅ぐと、漢方薬みたいな癖の強い、古いものの香りがする。とっておきなの、と祖母が言う。揮発するアルコール臭でクラクラした。
私は両親や妹に見えないように背を向けると、ええい、と一息にそれを口に流し込んだ。
まずは舌が電気にしびれたようになる。味蕾を焼き尽くすような刺激に、飲み込むにも一苦労だ。やっとの思いで舌先から口の奥までそれを運ぶと、
次は喉が焼ける。爛れているのではないかというくらいに喉越しが悪い。父はよくビールは喉越しがうまいだの言っていたけれど、同じ酒でも違うものなのかな。嚥下したはずなのに熱くなった胃の底から酒精がふわふわと立ち上ってきてむせそうになる。そのうえ、味覚が馬鹿になったかと思ったのになんだか生臭くて嫌な後味がべったりと舌に張り付いた。
大人はこんなものがおいしいのか。
それが私の初めての酒に対する感想だった。

私が19歳になった初夏、祖母が死んだ。
私たち家族は、もう誰もいない家に行って遺品整理をすることにした。祖母がいつも座っていた座布団が、彼女の尻の形にへこんでいて寂しい。冷蔵庫の中には私たち姉妹が好きだったジュースのペットボトルが入っていた。
遺品整理で一番大変だったのは、本棚でもクローゼットでもなく、キッチンだった。
祖母の家には大量の食品が保存されていて、賞味期限の切れているものもあったし、まだ食べられるにしても量には限度がある。床下収納にも大量に自家製の果実酒が保存されていて、日付のあるものはいいけれど、茶色く濁った得体のしれないような妖怪酒も混じっている。もったいないけれど、相談した結果私たちはそれらをすべて捨ててしまうことにした。

家の外には水が流れっぱなしの大きな生活用水路があって、祖母はよくそこで洗濯をしていた。
私は果実酒の瓶をえっちらおっちらとそこまで運んできて、中身を空けてしまうことにした。黄金に透けるガラス瓶の中の液体が、新緑と青空を映していて、泣きたくなった。
どこかの家の洗剤の泡や入浴剤の香りが流れてくる用水路に瓶の中身を次々に流していく。祖母の費やした時間はどこに行きつくのだろう、祖母の魂はどこへ行ったのだろう。感傷的な気分になる。たまに混じっている異臭を放つ失敗の瓶もいつも優しい笑顔しか見せてくれなかった祖母の歩んできた人生の厳しさや切なさを語るようにも思えた。
大きなガラス瓶は重い。だから、時折休憩と手を止めた私は瓶の中にころころと丸まっている果実たちを傾きつつある日の光に透かして眺めて休憩をした。

私がそれを見つけたのは、西の森が赤い空に黒々と切り絵のように貼り付けられた午後六時ころだった。時報を告げる防災無線の七つの子がいくつもいくつも反射しているなか、最後のひと瓶を持ち上げる。赤い光につき通されたそれは濃褐色をしていて、白く変色した丸い果実たちがころころと。
なんだか様子がおかしい。
果実には足なんてない。果物には腕なんてない。小さな腕の先が細かく、五本の指に分かれているわけが、ない。
不安が瓶の中の液体に伝わって、果実がころころと揺れる。ガラス越しに見えたそれにはひしゃげた顔、鼻の穴が開いていたのを何故かよく覚えている。
あっ、と叫んで手を離すと瓶は用水路のへりにぶつかって、黄色と赤に反射するガラス片を振りまきながら流れに吸い込まれていった。急いで家族の待つ家に引き返す。七つの子の奇妙な輪唱の尻尾に、大勢の赤ん坊の声がかぶさってきて、怖くなって私は走り出した。

あれが何だったのか、わからない。夕方の薄暗さの生んだ錯覚だったのかもしれない。祖母がそんなおぞましいものを持っていたとも思えない。
初めて私の飲んだお猪口一杯の酒が、あれだったともわからない。悪いことをするという高揚感と罪悪感が生んだ幻だったのかもしれない。
来年妹が16歳になる。もう、祖母も、あの濃褐色のガラス瓶も、ない。