化粧と客観

こんばんは。
ここ二日くらい天気が悪く、そのおかげで少しだけ涼しいという気候でしたが、とうとう夏が牙をむいてきました。暑いです。
防災情報で熱中症に注意しろと言われています。できれば外に出て散歩したいのですが、日中はとても無理でした。

夜になってようやく外を歩くことができました。
ただ徘徊するだけでも良かったのですが、せっかくなのでダイソーに行きました。ダイソーはいいところです。この世のおおよそすべてが小さくなって収まっている。
私はふだん百均に行くとおもちゃコーナーに直行するのですが、今日は気分を変えて別の売り場に行ってみました。
化粧品コーナーです。
100円の化粧品なんて、と少し見下していたところがあるかもしれません。でも、200円の商品だってありましたし、100円でも便利そうな道具がたくさん売っていました。相手に対する無知や侮りは危険ですね。気が付いたらアイシャドウ二つとそれに使う筆を買い求めていました。
家に帰って試してみたところ、なかなか悪くないです。
けっこう発色がしっかりしています。マーブルなんちゃらというのを選んだのですが、塗り広げると色が混ざって何とも言えない味が出ます。ニュアンスってやつでしょうか。二つのアイシャドウのうち一つは少しグリッターがきつすぎていつ使うのかわからなくなりましたが、おおむね満足です。
筆に関しては、満点です。
私は全く化粧品に詳しくないのですが、筆の仕事をしっかりと果してくれる一品でした。それでいいのです。筆として生まれたからには筆としての一生を全うしてほしい。よそ見せずに一つの仕事をこなす姿には学ぶところがありました。
最近はスマホやパソコンなどの何でもできる道具にばかり頼っていましたが、一つを愚直なまでにこなす筆もいい道具ですね。

なぜこんなに化粧道具に感激しているかというと、暑くて最近は化粧をしていなかったからです。これでは気合が入らないな、と思って新しいものを安価ですが増やしました。
ところで、私は化粧をするのが好きなほうなのですが、化粧って難しくないですか?
客観視が苦手なのでいつのまにか変な顔になっているのではないかと心配になります。
とはいえ客観視といのも変な話なのです。
今使っている、化粧が失敗していないかを判別する客観の目という言葉は他人の主観です。主観には偏りがあるので、その化粧がふさわしいかどうかを判別することはできない気がします。多くの人がその化粧をふさわしいとするならば、それはふさわしいのでしょうから、客観というのは存在してもおかしくはないのかもしれませんが、主観の寄せ集めであるのが客観で本当にいいのでしょうか。
その場にふさわしい、美しい顔というものがあらかじめ存在して、それに近ければ近いほど客観的なよいものに近いとするならば、主観の寄せ集めである客観はそれぞれの主観の中に存在していることになりませんか? そうすると、主観はそのまま客観であることになりかねません。私が良心に従って化粧をするとき、それは客観的に見てもふさわしいと言えるはずです。
でもそうはならないことがある。おかしい。
このあたりがよくわかりません。
そんなこと考えていないで空気を読めと言われてしまいますね。うまくいかないものです。