お久しぶりです

大変だ、お久しぶりです。
クトゥルフをしていたらこんなに日が経ってしまいました。色々なことがあってとても楽しかったです。
一ヶ月くらいの間飛び飛びの日程で進めていました。『沼男は誰だ』というシナリオです。ネタバレはしないので安心してくださいね。

私は人間をするのが得意ではありません。
それが如実に表れた日々でした。

ロールプレイって難しいです。日々生きることもロールプレイなのですが、それすら難しいです。生きるって難しいってことですね。
私は普通の範囲で探索者を作ったのつもりなのに、常に発狂しているかのような言動になるので困ってしまいました。私が常に発狂しているのかもしれません。嫌ですね、そんな人間。
どうしたら普通になれるのでしょうか。どうしたら人間と円滑なコミュニケーションが取れるようになるのでしょうか。これは一生の課題かもしれません。

私は人間の本質、というか人間をその人たらしめているものを、何かへの執着だと思っています。それを踏まえてキャラクターを作るとだいたいおかしな人間像しか生まれてきません。たぶん何かが間違っているのでしょう。
人間は人の間と書くので、人間のその人らしさは人との関係にあるのかもしれません。
確かに、人との関係がないと自分の輪郭が崩れていくような不安感に襲われることがあります。だから、この仮説はあながち間違いではないのかもしれません。

それはそうと、スワンプマンって知っていますか?
思考実験の一種なのですが、死んでしまった人と全く同じ構成で全く同じ記憶を持つ存在みたいな感じです。端から見れば死んでしまった人と同じで、そのスワンプマン自身もその死んでしまった人自身だと信じている。彼ないし彼女をその人自身だと認めることはできるかという実験らしいです。
私は自分は同一の自我の連続性が失われるのでなりたくはないですが、人がなるのはかまわない派閥です。大切な人がスワンプマンになったとしても、そのスワンプマンが感じる感情は本物ですし、なってしまったものは変わらないし、彼女が私と過ごした記憶は本物です。
ああ、これは話し始めるとシナリオのネタバレになってしまうのでここまでにするしかなさそうです。残念。

かなりとりとめがないですね。
困りました。

クトゥルフが終わってしまったのが寂しいです。
それとは別に、探索者に自我を乗っ取られます。とはいえ、彼も私の一部なのでたいした問題はないはずです。人っておもしろいですね。自分が毎日楽しく生きられるならそれで何の問題もないです。
クトゥルフしてくれたみんなにありがとうを伝えたいです。伝えなさいよ。