フォルダの奥から世紀末

こんにちは。

パソコンのフォルダの奥底から出てきた文章を見てください。

 

西暦20云々年、世界は核の炎に包まれた。砂と化した浅草の町を歩く黒い影がひとつ、かの知の巨人、坂口安吾である。彼は過ぎし第三次世界大戦を遊び、くぐり抜け、そして生き残ったのである。空と地面の灰色に挟まれたかつての浅草にはもはや文化の面影はなく、ただ、虚しい蜃気楼ばかりが立ち上る。坂口安吾はその歪んだ熱気を掻き分け、迷いなく決然と歩を進めている。

彼の歩みの先には重く垂れ込めた雲を貫く鉄塔がそびえ立つ。東京スカイツリー、と前時代の人々が名付けた電波塔は、その名を呼ぶものが死に絶え、役割を果たさなくなった今でも形を保っていた。政府も、法も用をなさないこの世界において、わずかな生き残りによる秩序が比較的保たれている唯一の場所、それが東京スカイツリーなのだ。

安吾は浅草の地下鉄駅に居を構えている。焼けて廃墟となった下町に住むような酔狂な人物は他になく、彼は日々を思索と執筆に費やしていた。紙と鉛筆は貴重品である、が、この焦熱地獄は彼の情熱を再び燃え上がらせ、何がなんでも書かねばならぬというような衝動でもって突き動かすのだった。日中の気温は40℃近く、夜間は氷点下となる厳しい環境はむしろ、彼の魂の故郷である苦しみに寄り添う。そうして、安吾は食糧と水の調達の際に瓦礫の中に筆記具を探し求めるのであった。

今日も今日とて、命を繋ぐためのルーチンからは逃れられない。芸術のためなら死ぬる、と公言して止まない文士もいただろうが、安吾には生きるためならば手段を選ばぬ覚悟があった。炎熱に焼かれ泥水を啜り、毒にまみれようと生きる意志だ。生きねばならぬ、生きて、書かねばならぬ、そればかりが彼の支えであり、彼の全てであった。

安吾は地上へ、崩れて蟻地獄の巣のようになった階段を踏みしめて向かう。幾度となく通った道ではあるものの、ここ最近脆くなり歩きづらくなったように感じられた。雷門出口からは朝四時の未だ冷気の残る、それでいて熱気を予感させる空気が吹き込んで来た。日が登り切るまでに物資を確保しなくては、自然と気が引き締まる。

仲見世通は絶好の狩場である。霧か砂埃か、安吾の近眼では判別がつかない靄のなかを進む。鉄筋コンクリートの残骸に埋もれ灰褐色に覆われたレトルトパックを手探りで発掘する。大都市として人々の生活を支えていただけあって、彼一人が生きていくには申し分無い物資が埋蔵されているようだ。そうして一時間ほど灰の山を掘っくり返して満足な食糧を手に入れる。まだ時間に余裕がありそうだ、今日は上手く行っている。彼は駅の周りに紙や鉛筆を探し始めた。

しかしそうトントン拍子に物事は進まない。その後結局、ジリジリと上がる気温に急き立てられ成果の上がらぬ内に駅に退散することとなった。

さて、機能を停止した改札を抜け安吾東京メトロのホームに陣取った。そこは空のパッケージ、何度も書き直され穴の空いた原稿、丸めて棄てられた何か、その他雑多な器物が積み重なり渦巻く、いわばゴミ屋敷のような有り様だ。そして彼の生活はここで営まれている。

物資の調達は朝飯前、とは言うものの、腹は減るのである。食べ飽きた携帯食糧を噛じる。不変なる甘みとモソモソした水気のなさを誇る焼き菓子を咀嚼する。と、そのつまらぬ繰り返しに妙なものが割り込んできた。緑の香りであった。

それはメトロのこもった空気に乗ってやってきた。久々に鼻腔に吹き込んだ湿り気を帯び鬱蒼とした植物の香りだ。気のせいではないか、俺の神経がやってのけたイリュージョンではあるまいかと鼻を擦り擦りしてはみるものの、一向に青臭く生命のみずみずしさを帯びた空気は消え去らない。はて、これはどういった事態だ、こうしちゃ居られぬ、安吾は水を入れたボトルをひっつかみ、ポケットに携帯食糧と心もとなくなりつつある紙と鉛筆をねじ込んだ。生来の知的好奇心が彼の燃料となり、血を巡らせ、脳が新しい刺激に快哉を叫ぶ。果たして彼は線路に降り立ち、無限の闇へと、その鼻一つを頼りに駆け出した。

 

 

 

 

寿命が長い。

終わります。ありがとうございました。

さようなら。