こんにちは。

私には少し変わった友人がいます。

 

彼女とは小学生からの付き合いで、いわゆる幼馴染という関係です。親友というわけではなく薄い付き合いを長く続けただけにすぎません。校庭で遊ぶときにいたかもしれない、鬼ごっこでタッチしたかも知れない、記憶にはないけれど。のような距離感でした。

 

そのまま中学高校と同じ学校に進学し、それでもなお関係が深まることはありませんでした。なぜなら私は文化部で、彼女はインターハイにも出場するような運動部に所属していたからです。私たちはそれぞれの時間を過ごし、交わることはありませんでした。小学校入学から高校卒業まで9年間のほとんどを同じ空間で過ごしたにもかかわらず、です。なんだかおもしろい、逆運命とでも言えるのでしょうか。

 

彼女と言葉を交わすようになったのは大学に入学してから、成人式の後です。

よくあるように成人式で再会した私たちは好きなアーティストが同じだったことで連絡先を交換し、気が向いたらメッセージを送りあっていました。内容は新曲の話題や大学の課題が面倒であること、アルバイト先の愚痴などの陳腐で他愛のないものでした。しかし、趣味が似通っていながら私と違って外向的な彼女との会話はとても楽しいものでした。特に話題が恋愛に移った時には価値観の違いから励まされることが多かったです。「欲しいならなりふり構っちゃダメ」という言葉が印象に残っています。

 

積極的な彼女は私の理想の姿をしていました。

 

 

彼女は東京のある国立大学に通っていました。彼女は派手な男に惹かれるようになりました。彼女は男に自分の容姿をけなされました。彼女はそれでも男に恋し続けました。

努力家の彼女は自分の容姿を変えることにしました。

 

 まずは目元、その次は鼻、と次々に形を変えたのではないでしょうか。そのころには私たちの間の連絡は途絶えていたので、憶測にすぎません。しかし最終的には足の骨を伸ばしたり肋骨を切り取ることまでしていたとほかの友人から聞きました。

 

おそらく自分を変えることができるという全能感のとりこになってしまったのでしょうね、恋人がいなくなった後も彼女は変わることをやめませんでした。

 

肌をより白くするために他人の皮膚を、さらにさらに足を長くしたいと元の骨を取り払って合金でできた新しい脛骨を、胸をより豊かにするためにシリコン……

 余分と思われる部品を惜しみなく取り払っていきます。よりよいものを求めて外しては付け替え、削いでいきました。

 

次に彼女に会った時、彼女はチタニウムで構成された30㎝四方の立方体になっていました。なんでも、美を求め続けた結果たどり着いたのがその姿だったそうです。

サテン仕上げの箱には疵もなく、身近にあるものだとコンピューターや石棺のようでした。中には何も入っていないそうです。

 

とっぴんぱらりのぷう。

さようなら。