食用ミノタウロス

食用ミノタウロスは孤独である。

 

 

食用ミノタウロスは食べられるべくして生まれた。食用ミノタウロスは小さな島の大きな迷宮から出ることなく育った。食用ミノタウロスには同胞もない。友もいない。家族の記憶もない。食用ミノタウロスがそれを思い浮かべるとき、目の奥が熱くなって、鼻の奥が痛くなる。だから食用ミノタウロスはそのことを考えないようにしていた。

 

以前の食用ミノタウロス今ほど孤独ではなかった。

食用ミノタウロスのもとには定期的に人間が届けられた。それを食べてしまうのも、こっそり迷宮の外に逃がしてやるのも食用ミノタウロスの自由だった。食用ミノタウロスの頭は牛である。だから肉よりも植物のほうが都合がよかったし、人間の泣き叫ぶ声を聴くのは好きではなかった。

食用ミノタウロスにとって人間は不思議な存在だった。彼らは似たような姿の仲間を多く持つ。小さな体を目一杯広げて、不思議な鳴き声を発する。人間は仲間が動かなくなるとそれに寄り添い、いつまでもかすれたような鳴き声を上げていた。食用ミノタウロスはそれを見ていると、自分もそのそばに行って同じように鳴いてみたいような気持になった。

動かなくなっていた仲間に寄り添っていた人間もすぐにたおれた。

 

何回も人間を外に逃がしてやったが、どうやら彼らは食べないと動かなくなるらしい。

ある年の春、食用ミノタウロスは気づいた。食用ミノタウロスは草や、石の壁にはびこる苔を食べていれば十分だったが、人間にとっては不足らしい。食用ミノタウロスは考えた。人間の悲痛な声は聴きたくなかった。

 

その次の春、食用ミノタウロスは自慢の斧で腕の肉を削いで人間に与えた。

目の前で切り取ってやったが、人間は甲高い声を上げて逃げ出し、海に落ちてしまった。食用ミノタウロスはうなだれた。それから夏が過ぎて木の葉が落ち、地面が凍りそれがとけるまでうなだれて過ごした。

 

そのまた次の春、今度は削いだ腕の肉を人間の通りそうなところに置いた。食用ミノタウロスはずば抜けて丈夫だったので一年たてば傷は元通りだった。だから前の春と同じようにピカピカの斧で肉を削いだ。

やせこけた人間はそれを食べた。

食用ミノタウロスの腕は痛んだけれども、そんなことは気にならないくらい体が軽くなった。目に映る景色もきれいに見えた。

 

さらにその次の春も人間が届けられた。

届けられた人間は食用ミノタウロスの肉を食べて生き延びた人間を見て跳ねまわり、そうして彼らはお互いを抱きしめた。食用ミノタウロスも、できることなら彼らとともに踊り、触れ合いたかった。しかし、食用ミノタウロスの姿を見たら彼らは肉を食べてくれなくなるかもしれない。食用ミノタウロスはあきらめた。それでも暗い迷宮の中を足取り軽く歩き回った。

 

そうして食用ミノタウロスの島にはたくさんの人間が暮らすようになった。

人間が多くなれば、必要になる肉も多くなる。食用ミノタウロスは自分の体を削り、切り取って人間を養った。食用ミノタウロスはやせ細っていった。全身が赤むけでひどく痛んだ。海の夜風が骨の髄まで染みるようだった。それでも人間が動いていることが食用ミノタウロスにとっては大切だった。

 

ある春、食用ミノタウロスはついに骨だけになってしまった。

それでも人間は届けられた。小さな島にいっぱいになった人間たちに肉を与えたかった。しかし食用ミノタウロスには与えられるものがもう何もなかった。

人間は互いに殴り噛みつきひっかき合うようになった。

人間はお互いの肉を食べるようになった。

人間はどんどん減っていった。

人間は食用ではなかったので、人間を食べた人間もおかしくなってしだいに動かなくなった。

小さな島には人間がいなくなった。

食用ミノタウロスはそれを見ていることしかできなかった。自分の肉を削いだ時よりもずっと痛かった。食用ミノタウロスのあげたさみしい咆哮を聴く生き物はなく、南風に乗って空と海の境目まで運ばれていった。

 

小さな島は荒れ果てた。骨があたりに散らばって、腐ったにおいがした。食用ミノタウロスの迷宮には赤黒いしみがついて雨が降っても落ちなかった。

 

また次の春になり人間が届けられた。

人間は小さな島の様子を見てそのまま海に飛び込んでしまった。

 

次の次の春、人間が届けられた。

そのころには食用ミノタウロスの体はすっかり元通りだった。

それなのに食用ミノタウロスの肉は、小さくうずくまって震える人間に食べられることもなく腐ってしまった。人間はある日の朝から丸くなったまま動かない。

 

春は何度もやってきた。

 

ある春から人間は届けられなくなった。毎年春にやってきた船は人間を乗せずにやってくるようになった。何べんも来るうちに船はボロボロになっていった。

 

食用ミノタウロスは知らないことだが、世界の人間はもうとっくの昔に滅んでしまっていたのだ。だから待てど暮らせど人間は届けられない。食用ミノタウロスが考えるよりも人間は弱くはないし、仲間思いでもなかっただけだ。

 

食用ミノタウロスは食べられるべくして生まれた。だから今日も食用ミノタウロスは自慢の斧を研ぐ。また春が来る。

食用ミノタウロスは孤独である。