豆腐と後悔
こんにちは。
近所のスーパーで豆腐が処分されると聞きました。
安くておいしい豆腐ですが、そこのスーパーの仕入れ担当者は量を見誤ってしまったようです。悲しい事ですが、売り切れないし豆腐は処分されざるを得ません。私も力の及ぶ限り救出しようとしましたが、一日に食べられる豆腐の量には限りがあります。人間の胃が有限であり、四次元には接続できないことをこれほど悔やんだことはありません。
豆腐の処分は、今日の、夕方5時に行われました。
スーパーの前には人だかりができていました。老若男女が一様に、道路に面したところに設営された豆腐の処分台を見つめて、今か今かとその時を待っています。たらいにあけられた豆腐たちは何が起こっているかもわからない様子で、絹ごしなのでしょうね、きめの細かい白い体をふるふると所在なげに震わせていました。
5時になると、店員さんが奥から出てきました。彼の顔は曇っていて、本当はこんなことをしたくないのがありありと伝わってきました。職務への責任と道徳に反することへの葛藤が、あの暗い表情に表れていたのではないかと思います。
人の輪の外側で私は処分台を見ていました。見物人の輪に分け入っていくのはなんだか不躾かな、と考えた結果です。
しかし、輪に加わって見物をする人々のようにヤジを飛ばしたりしないだけで、私は豆腐が処分されるという事件を野次馬根性で、ただの好奇心を満たすためだけの道具として消費しようとしています。
それはひどく失礼なことに思われます。そして、ここで処分されていく豆腐を見物したことで今後私が処分されるとしたらこのように人に囲まれて消費されていくのだろうと不安になりました。
怖くなって家に帰りました。あの後何が起きたのかは知らないです。
これでよかったとは思いません。最後まで見なかったとしても、私が好奇心をもって豆腐をもてあそんだことは変わらないからです。後悔しています。
ごめんなさい。ここでいくら謝っても、処分されていった豆腐は救われません。わかっています。ごめんなさい。
読んでいただきありがとうございました。
好奇心は人生に必要なものです。それを否定するつもりはありません。ただ、私は好奇心を不用意に扱いすぎました。これはナイフや火と同じで、用心しないと他人を傷つけてしまうものなのかもしれません。
さようなら。
今日あった出来事は本当はなかったです。ごめんなさい。