絹ごし豆腐

豆腐だった。

絹豆腐だろう、一丁の豆腐に刺さる二本の電極。それは豆腐の浸かっている水槽の外へと伸び、半分に切られたリンゴに刺さっている。

 

 

目が覚めると白い天井。知らない場所だった。昨日の夜に潜り込んだ布団は跡形もなく、硬くて不安定なベッドの上に寝かされていた。

どういうことだ、周りを見回すとたくさんの人間が病院のストレッチャーのような寝台に横たわっている。こんな場所に来たことはないはずだ。僕の周りは右も、左も前も後ろも眠る人々で、誰一人として動く者はいない。ただ、静かな呼吸音ばかりに囲まれている。

 

 夢だろうか、きっとそうに違いない。
夢なら、見て回らなければもったいない。

 

どこまで歩いても続くのは眠る人々ばかりだ。足音にも気を遣わず歩いているのに、気付く気配はない。きっと眠り続ける人という役目を負っているのだろう。昨日こんな映画を見たっけな、記憶をたどる。足の裏に感じる冷たくてすべすべした床の感触が妙に現実的だった。

 

歩けども歩けども寝台の海は尽きることがない。単調さに飽き飽きしてくる。横たわる人々は僕の知らない人も知っている人もごちゃごちゃに、ただ眠り続けている。きっと起きたらこの夢は忘れてしまうのだろう、あまりにもつまらないから。

 

いっそこの夢の中でもう一度眠ってみようか、と思った頃に壁に行き当たった。白い、無機質な壁に不愛想な鉄の扉がひとつ。やっと訪れた変化。僕は迷いなくその扉を開ける。
ドアノブは何の抵抗もなく回り、扉が開いた。

 
そうして目に飛び込んできたもの。
アニメや映画で見るような研究室。無数のモニター、培養層。鈍い銀の配管と無数のコードは部屋の中央のひと際大きな水槽に僕の視線を導く。

そこにあったのは豆腐だった。
そこらじゅうでのたくり回る配線も、なんだかよく分からない研究機材も無視するように豆腐が存在している、鎮座ましましている。白くて滑らかな直方体には二本だけ電極が無造作に刺さっていて、そこにつながるコードは半分に切られたリンゴにつながっている。

不思議だった。
僕は導かれるように手を伸ばし、豆腐から電極を引き抜いた。

 

 

いつも通りの場所で目が覚めた。
どうしてか石鹸の白が嫌に目につく。いつも通り、少し遅刻気味に家を出た。いつも通りの道、いつも通りの風景、だけどそこには人の姿がない。背筋がぞくぞくするような不安感。ここは夢の中だろうか。

 

人気のない駅の改札を通って、人気のないホームで電車を待つ。
世界が終わった後のようだ。駅員も、会社に急ぐサラリーマンも、たむろする学生もどこへ行ったのだろう。スマホの画面を見てもいつも通りの時間。ニュースサイトを確認したけれど、つまらないゴシップばかりだ。

 

───行き、快速が通過いたします。
アナウンスが流れてふと向かいのホームに目を向ける。

 

人間くらいの大きさの豆腐がたたずんでいた。
思わず目をこする。しかし豆腐は消えない。ふるふると白い体を震わせる絹ごし豆腐が向かいのホームからこちらを見つめている。

 

目が合った。
快速列車が警笛を鳴らす。
豆腐は僕から目をそらさず、線路に身を投げた。

 

白い破片が飛び散るのと同時に、あたりが真っ暗になった。それを見届けるのを待たずに、何もなくなった。駅のホームも、快速列車も、豆腐も僕も。