本への執着と人格と

こんばんは。

そろそろ夜になると涼しくなってきました。本当に助かります。昼間も涼しければなお嬉しいのですが、それはしばらくかかるのかもしれません。

頼んでいた本が届きました。
本を買い過ぎている気がします。古本を通販で取り寄せているので思ったよりは金額がかさまないのもあって、本を買い続けてしまいます。今のところ読む速度と買う速度は拮抗している、と信じたいのですが、家にあるまだ読んでいない興味を惹かれる本のことを考えるとどうなのでしょうね。読みたい本の増えるスピードには全く追いつけません。
本を所有したいという欲望があります。読んだ本は手元に置いておきたいし、読みたい本は目の前に飾りたいです。本は私の人格を形作るもので、それらの喪失は自分の喪失であるかのように感じられます。本を一度読んでも内容を忘れてしまうかもしれませんが、手元にあれば読むなりして思い出せます。読みたい本だって読みたかった気持ちを忘れてしまっても、手元にあれば思い出せます。安心です。私の人格は目には見えませんが、それを形作る本は見ることができて、触ることもできます。忘れてしまった過去の自分だって手元に本があれば思い出せるはずです。安心ですね。
私は人格を寄せ集めのコラージュだと思っています。いままで経験したことや聞いたこと読んだことが集まって私を形作っている。だから私本来の人格は存在しないために、記憶を失うことが恐ろしいです。本を集めるのはそういう考えのせいかもしれません。
ただ、引っ越しが大変になってきました。荷物の半分以上が本のダンボールです。本、重いしかさばりますね。本に費やす金額を無駄だと断ずることはあまりないのですが、占有する床面積や、引っ越しの際にかかる費用を考えると、電子書籍の導入も検討するべきなのかもしれません。でも、電子書籍で読んで面白かった本を紙で買ってしまいそうなのでこれはどうにもならないかもしれない。困りました。読み返さなくても手元にないと心配になるので困ります。
いっそ現世への執着を捨てるとか、そういったアプローチが必要なのでしょうか。たとえば、悟りを開けばいいのでしょうか。悟り、遠そうだ。