コレクションの話

私には蝶の標本を集める趣味があります。

自由研究でありましたよね、虫の死骸を乾燥させて箱に並べるあれです。
近所でとれる蝶だけでも集めて並べてみると結構な壮観です。見栄えがするので私の通っていた小学校では多くの人が昆虫標本を九月になると提出していました。私もあの頃は落ちこぼれてもいなかったので、将来は博士になりたいだなんて思いあがったことを考えて野に生きる虫たちを捕獲しては冷蔵庫で凍殺したものです。母はひどく嫌がりましたが可愛い娘には甘かったのだなと今になって思います。白いアニメのシールで覆われた冷たい箱の中で私のとらえたかわいい虫たちは干からびて死んでいきました。

昆虫標本の花形といえば鎧武者のように勇ましいカブトムシなどの甲虫か、見眼麗しい蝶が挙げられます。
私は友達を作るのが苦手ないわゆるボッチではありましたが、変わり者というわけではありません。やはりほかのみんなと同じように蝶の美しい標本を菓子の空き箱いっぱいに集めたいと望みましたし、私を仲間はずれにするクラスメイトや、冷淡な先生方をあっと驚かせるような珍しく出来のいい標本を作りたいな、という密かな野望すら抱いていました。終業式の七月の終わりごろから八月いっぱい、私はありとあらゆる手で蝶を集めました。

ミカンの木に集まるアゲハチョウ、キャベツ畑にはモンキチョウにモンシロチョウ、学校の裏の雑木林ではシジミチョウが私を待っていました。虫取り網でそっと彼らを掬い上げて封筒の口を切り落としたものに羽を休ませる姿で挟み込むのですが、虫取り網の薄い生地の向こうに感じる蝶の必死の抵抗ほどわくわくするものはあれから二十年近くたった今でも出会わなかったように思います。蝶の美しい羽根の鱗粉をはがさないように、折角の材料を逃がさないように慎重に作業を進めていくスリルもあったのでしょう。
そうして蝶が身動きのとれぬように封筒をテープで止めて、日付や採集場所を書き込んでしまえばもうほとんど仕事は終わりです。家に帰ってこの封筒を冷蔵庫に入れてしまえばあとは勝手に乾燥して保存に耐えうるものができます。

私は、自分でいうのもなんですが粘り強くマメな子供でした。
私の母の実家は沖縄にあって、夏休みはそこへ祖父母に会いに行くのが毎年のことでした。昆虫採集にはまりにはまっていたその年は、いつものように海に行ったりはせずに祖父母の家の周りを虫取り網片手に徘徊し、学校の近所では見たことの無いような極彩色の大きな蝶を捕まえては、祖父におねだりして買ってもらった昆虫図鑑を紐解いたものでした。

そうして私が集めたお中元のジュース箱いっぱいにお行儀よく並んだ標本は、なんだかよく分からないコンクールでなんだかよく分からない賞をいただくことができました。科学だとか、探求というのはもうどうでもよくて、私にとっては「これでみんなが認めてくれる」というような嬉しさと、ほんの少しのざまあみろという見返してやった気持ちが主なものでした。普段は私の名前なんて朝の健康確認の時にしか呼ばないような先生も、私のことを見てくれて、それは本当にうれしかったです。

しかしうまくいかないものですね。
私の集めた標本の、沖縄の蝶がインチキではないかと言い出すクラスメイトがいました。しかも悪い事にはその沖縄の蝶は絶滅危惧種で捕まえるのは犯罪ではないかというのです。
私の名声はあっという間に失墜して、嘘つきか、もしくは犯罪者というような扱いを受けるようになりました。こうなってしまうと教室の後ろの棚に誇らしげに置いてある標本箱もただ私を責めるためのさらし者にすぎません。だというのに先生はそれを片付けることもせずに、そしてまた私もそれを片付けてくださいということができずに三か月間、埃を積もらせていきました。

顔も上げられないような新学期を過ごす私の前にチャンスが訪れたのは十二月、お正月のお休みの前の集会の日でした。
そのころには私への糾弾は鳴りを潜めてはいましたが、その代わりにじめじめとした陰湿な陰口やひそひそ笑いが流行になっていました。今となっては馬鹿馬鹿しいなと一笑に付してしまえるようなおままごとですが、当時の私にとってはそれは世界からの拒絶でした。

そんな中のある日、学校の非常ベルが鳴りました。火事だというのです。その時、全校生徒は体育館にみんなで並んで、冬休みへの心構えだとかありがたい校長先生のお話だとかを拝聴する集会に参加していたのですが、私はどうにも気分がすぐれなくて保健室でズル休みをしていました。背の順で後に並ぶ子の必要以上に距離をあけて、先生に注意されても私には決して近づこうともしない態度がプレッシャーになっていたという面もおそらくありました。私が保健室で休んでいるのもいつものことで、保健室の先生も席を外していました。

けたたましい警報音が鳴った時、最初こそビックリして体を固くしどうしたものかと困惑しました。が、突然とてつもなく冴えたひらめきが私の頭に舞い降りたのです。そのひらめきに従って私は慌ただしい校内の雰囲気を全身に感じながら、保健室を抜け出して教室へ向かいました。誰かのバタバタという足音、保健室の先生が私を呼ぶ声、なんだか落ち着かない空気を縫って教室にたどり着いたとき、私の息は緊張と全力疾走で上がっていました。それでも、と、私は諸悪の根源たる蝶の標本箱を取り上げると、覆いのプラスチック板をすっかり取ってしまって中身を床にぶちまけ、その辺にあった誰かの運動靴を手にはめてぐちゃぐちゃに蹂躙しました。
その爽快だったことは今でも忘れられません。

そのあとはドタバタに紛れてしれっと体育館に潜り込み、保健室の先生に泣きながら叱咤されたりはしましたが、すべてうやむやに、万事曖昧に済ませてしまうことができました。多分、化学室からの火が人為的なものであったことや、そのボヤの中心地から生徒のランドセルが黒焦げになって見つかったせいで私の大冒険は見逃されたのではないかと思います。

こうして針の筵の核となっていた標本を始末してしまった私ですが、それで何が変わるわけでもなく、それなりに暗い小学校生活を過ごしていきました。
でも、もうあきらめはついています。そのあとの高校生活の中で私は友人だって手に入れました。昔はパッとしなかった容姿も化粧を覚えてしまえばいくらでも誤魔化せますし、弱虫だって笑うような人にも成長するにつれて出会わなくなりました。悪い夢だったと思っています。

ただ一つ、残念だったことは、炎に巻かれて黒焦げになるのが美しい蝶ではなかったこと。それが悔やまれてなりません。

もう私は大人なので、野に繰り出して網を振り回したりはしません。虫だって大嫌いです。でも、蝶の羽の燃え落ちるのをいまでも夢に見てしまうのです。だから、多いとはいいがたい給料を気にしながら、毎月一頭の蝶の標本を買い集めることにしています。そうして、あのとき集めた103匹と同じ数になったら、一気に燃やしてしまおうと思っています。このまま恋人ができなかったら一緒に燃えてしまうのもいいかもしれません。なんて。