旅に出る

友人の運転する車の後部座席で揺られていた。
どうやら昼間らしい、が、薄黄色のカーテンが窓を覆っていてよく分からない。目が覚めたばかりで、これからどこへ向かうのか、どうして車に乗っているのか等全く思い出せない。夢の中のような感覚だ。頭も腕も妙に重くて、カーテンを捲ってみようという気も起きない。ただ運転する友人の横顔を斜め後ろから見つめている。車のフロントガラスは黒い森を映している。

 

「ごめんね、運転してもらっちゃって」
カーステレオのピアノに負けないように私は非礼を詫びる。どうしてこんなに音量を大きくしているのか。ついさっきまでは気づかなかったが、車内はエンジン音が聞こえないくらいに音楽で充満している。落ち着いたクラシックとはいえ耳が痛い。頭も痛い。友人はかなり腹を立てているのではないだろうか。この大音量で私を叩き起こそうと計画したのではないだろうか。
「ごめんなさい、運転代わるよ」
私は声を張り上げる。かなりの大声を出したはずが狂気じみた大音量に飲み込まれて防音室の中のように空虚だ。
どうしてこんな山道を我々が進んでいるのかは分からないが、運転させておいて眠りこけるのは自分勝手にもほどがある。さすがに如何なものか。だから聞こえていないのか、無視されているのかは関係なくて、私は私に全面的な非があるのだと思った。

 

道が悪く、車は左に右に激しく揺れている。
ガクン、とこぶし二つ分ほど落下したように感じる、途端にスピーカーが沈黙する。カセットテープが終わったらしい。支えを失ったような気分になる。耳の神経が高圧電線のようにジイジイと鳴る。無言の空間を耳鳴りが埋めつくす。

私は再び謝ろうとする。謝らなければ気が済まない。この長い付き合いの、私の愚行も大抵笑ってくれる友人は怒り心頭に違いない。借りていた教科書をなくしたときだって怒られなかったのに。謝ろう、謝ろう。
「ごめん」
しかし私の言葉は先手を打たれた驚きでかき消されてしまった。友人には謝る必要がない。
「もうすぐ着くから」

 

車が止まったのは山奥の谷間を見下ろす崖の淵だった。
友人は車を降りると後部座席のドアを開ける。黒々とした緑を背景に、何かに怯えたような顔が見える。そのまま友人は毛布に包まれた私を後部座席からやっとのことで引きずりおろした。どさりと不格好に着地した私は毛布の中に登山用のウェアを身に付けていた。力の抜けきった人間は重い。重くて重くて扱いづらいったらないのだろう。私は最後まで迷惑をかけっぱなしだったな。
友人はリュックを担がされた私を崖へと転がす。ぐにゃりぐにゃりとだらしがない。生きているころからだらしがあるとは言い難かったが、死ねばそれ以上にだらしがなくなるのだ。救いようのない話だった。