クリスマスに関する主張

こんばんは。
今日も暑かったですね。これ、毎日書くのでしょうか。毎日暑いのは分かり切ったことなのですが、それでも毎日新鮮に暑さを感じています。蝉も鳴いているし、梅雨明けもしたし、これは紛うことなき夏です。もういやだ。

 

私は季節の中ではクリスマスのある冬が一番好きです。
クリスマスはいいですね。いろいろなものが幸せということになっていて、たとえ不幸があろうともそれはキラキラした冬に修飾されて、それなりに鑑賞に堪えうるものになってしまいます。
浮かれてもいい季節というのもうれしいものです。スーパーに行けば緑と赤の装飾がなされて、シャンメリーに生クリーム入りのチョコレートの大袋、鳥の丸焼き、クリスマスの長靴といった浮かれた商品がずらりと並んでいます。それを見るとどうにもわくわくして、もうすぐで全てが解決するような気分になるのです。

クリスマスにはすべての罪が許される。

私はキリスト教徒ではないので、失礼ながらクリスマスがどういう日なのかよく存じ上げていません。しかし、白く染まったクリスマスの日の朝だけは今までに積み重ねてきた悪いことも一緒くたに白く塗りつぶされて、デコレートされたような新鮮な感覚を味わいます。

何度も一人でクリスマスを過ごしてきましたが、クリスマスに対する好意は減ることがありません。
クリスマスに病院に行く羽目になったり、バイトが入っていたり、一人寂しく過ごしたり、寝込んだりしましたがそれでもクリスマスは素晴らしい。私や、ほかの人たちが不幸だったとしてもクリスマスは圧倒的幸福なのでそれは覆らないのです。

もし家族を持つことになったとしたら、クリスマスだけは絶対に幸せにしようと思います。生きて暮らしていればつらいことや喧嘩もあるでしょうが、クリスマスだけはこの純度100%の幸せの象徴であってほしい。
私にとってはクリスマスに説教されようと、馬鹿にされようとそれでもクリスマスは幸せなのですが、他の人にとってはそうではないかもしれない。
それは由々しいことです。
クリスマスが万人にとって幸せであれとは言いません。それは意見の押し付けだからです。それでも、その幸福の一端を家族と共有したいという思いは間違ったものではないはずです。
まあ、家族が新しく増える様子はないですけどね。

とにかく、一般的に言われる恋人とのクリスマスが実現せずともクリスマスは素晴らしい。

去年は一年前からクリスマスを楽しみにしていて、前日まではしゃいで、当日は疲れて寝てしまいました。一昨年も同様です。
楽しみすぎて当日に何もできないのが毎年のことですが、それでいいです。それでもクリスマスは幸福の象徴なので。