合理的という信条

こんばんは。

明日になったら頼んでいた本の発売日で、明後日になったら妹たちとのTRPGです。
楽しい予定が目白押しですね。その一方で資格試験の日が近づいています。まあ、何とかなるでしょう。そう信じたいです。

合理的という言葉ががありますよね。
あれって生モノだと思います。
合理的な行動というのはその適合している理の数だけたくさんあるので、一つではないはずです。しかもひとつの理に合っている行動でも、より合理的な行動というのがあると思います。ここでは必ずしも合理的=最適解ではない、ということにしておいてください。
その数ある合理的の中で一つだけを可及的速やかに選び取らなければなりません。そして、選んだそれより最適解に近いものがあったのではないかと考えたり、もっと従うにふさわしい理があるのではないかとためらってはいけません。そのような逡巡は合理的ではないからです。合理的行動は時間勝負です。
合理的行動をとった後に、それが合理的であったか思い返すのも非合理的です。時間の無駄は省かなければなりません。それでも思い返してみる。すると、合理的ではなかったと結論付けられることもある。
このように、合理的というものは消え物で腐りやすい。

それでも私は合理的という言葉が大好きです。いつもそのような行動を心がけたいと願っているし、なるべくなら最大多数の最大幸福を合理的行動によって実現したいと思っています。無駄は省いてクレバーに。合理的という言葉は格好がいいです。
そして、合理的は便利です。
その場においての最適解でなくとも、合理的だと判断できてしまう行動ならばそれを善としてしまうことができる。もっと良い結果があったかもしれないと後悔することも、合理的の名の下では禁じてもらえる。極論を言えば、合理的という言葉を唱え、その意味にふさわしい行動を心がけてさえいれば、それ以上は考えたり後悔したりせずに済むのです。
合理的とは、資源の無駄を省いたなんとも合理的な言葉ですね。