不幸のもとになりかねないと言われるとき、どうする?

こんばんは。

今日もインターネットの嫌な部分を眺めて過ごしてしまいました。
せっかく涼しいのだから別の何か楽しいことをすればよかったです。

ところで、「××という特性を持つ人間の周りの人は○○という不利益な状態に陥る可能性がある」という言説があるとします。仮に私が××という特性を持っていた場合、これにどのように反応したらよいのでしょうか。
考えられうる反応としては、偏見だと断じて無視してしまう、それかそういう可能性もあるかもしれないと受け止める、の二つがあるように思います。他にも怒り狂うとか、意味のない言葉として流してしまうとかもありますね。
どれを選ぶのが適当なのでしょうか。
私は××個人として感情を抜きに考えると、受け止めることが最も合理的なように思います。その言説の正誤にかかわらず、それを信じている人がいる以上はそれが真実だと扱われる場面があるということです。××として生きなければならない以上、感情を優先されがちな社会の中でその言説を真実として振舞った方が利益が大きいように感じられます。××は少数派で、理解を得るのは難しいからです。それに、自分を反省して努力する様子を見せることは利益をもたらします。その言説を偏見だと断じて衝突するよりは、真実として受け止めて見せることが合理的ということになるのではないでしょうか。
まあこれは細かいことを抜きにして大雑把にとらえて出した答えなのですけれどね。
その言説によって××の属性を持つ人間が受ける不利益とか、書いた通り私自身が抱いた何とも言えない感情とかは無視されています。それでも、論理的に正しいと納得できることが圧倒的に圧倒的に優先されます。自分の手の届く範囲くらいは自分の望むようにしたいものです。それも××が周囲を不幸にしかねない特徴の一つかもしれませんが。
私は怠惰なので何が正しいとかは考えたくありません。だから、自分一人の利益のためにその言説に同調することでしょう。

あんまりよくないインターネットをしていますね。
いけないいけない。
インターネットの言うことなんかを真に受けず、現実に即して生きていきたいです。