自分に対する偏見の気持ちよさ

こんばんは。

涼しいけれど、だんだんと暑さが戻ってくる気配を感じます。夏、このまま終わってほしい。

最近、自分の属性に対する偏見や差別をツイッターで調べるのにはまっています。よくないですね。時間の無駄です。ただ、その情報が正しいかそうでないかはよく分かりません。私がその属性に属している限り、その情報にある要素を抱えていないとは限らないからです。
「無自覚に」「無意識に」というような言葉はずるいですね。それを添えられるだけで、自分には当てはまらないと思っている要素でも考えるべきというメッセージが伝わってしまいます。反論を許さない。「無自覚に他害するのがお前たちの特徴だ」のようなことを言われてしまっては手も足も出ません。それを言った彼ないし彼女は私と同じ属性の人間に傷つけられたのでしょう。それで属性をひとまとまりにするのはまだ仕方ないですが、ずるい言い方はなるべくしないでほしいですね。
私は自分の属性を差別したり悪し様に言う人たちを好いてはいませんが、彼らも人間であり、個体差が存在することは忘れてはいけないと思います。思わなければなりません。ウィトゲンシュタインも物事を十把一絡げにして個別に考えないのはよくないよ、みたいなことを言っていたし。
他にも気づいたことがあって、ツイッターだけで語られている言説のようなものがあるようです。私は不勉強なのでそれがツイッターだけなのかは断言できません。もしかしたらそういった説を書いている本があるのかもしれません。ただ、医学的にそうだとは言われていないであろう説がさも当然の事実かのようにツイッターを歩き回っています。一つの情報源に頼り切るとよくないということでしょうか、もしくはツイッターは信用するなというだけかもしれません。私だってすべてを知っているわけではないので、ツイッター上にだけ頻繁にみられる言説が医学的に正しいという可能性もありますね。
どうしてこんなに偏見を調べるのにはまったのかというと、被害者になるのが気持ちいいからなのだろうと思います。偏見をインターネットに書く人たちと同じですね。自分の関わっていない人から向けられる敵意や害意は理不尽なものです。理不尽にさらされている限り私は純粋な被害者でいられます。相手を傷つけることなしに敵対させられてしまうことができます。そのうえ理不尽に自分なりの論理で反論する気持ちよさまでついてきます。そんなことしたって何にもならないのにね。馬鹿ですね。でも、私の気持ちが分かる人も多いのではないでしょうか。お手軽に被害者として怒りを振るう気持ちよさは普遍的なものではないかと思います。