暴論は気持ちいい

こんばんは。

今日も暑いですね。これから買い出しに行って、カレーを作る予定です。特にカレーが好きなわけではないのですが、作るのが簡単なところが気に入っています。洗うのも簡単だったらもっといいのですが、世の中そんなにうまくは行かないようです。

『はじめて学ぶ生命倫理』という本を読みました。生命倫理というと面倒くさそうなイメージがありましたが、思った通りでした。でも、生きている限りはこれに付き合わずにはいられないし、誠実に生きたいならばなおさら生命倫理に触れておくのが必要なのだろうと感じました。
色々考えさせてくれる本でした。特に、脳に障害を負った片方と健常なもう片方の結合双生児の片方を死なせてもう片方を生き残らせる手術をするべきかの話で、障害者は生きる価値がないという言外の価値観が作り出されてしまいかねないところが興味深かったです。私は障害者でも健常者でも隔てなく、法で守られている限りは生命に危害を加えられるべきでないと思っていますし、生命の価値は等しくあると信じています。しかしその結合双生児の事例について、私は健常な方が生き残るべきだと考えてしまいました。それは障害者の命の方が軽んじられている意見なのではないかと言われてしまいかねません。矛盾ですね。実際のその事例では手術は行われました。一応、心臓と肺は健常な方に依存しているため、という理由はあったのですが、なんだか後味が悪い話です。

自分に関係のない話なら納得のいく結論を出しやすいのですが、自分やその大切なものや人に関係があると矛盾が生まれてしまいやすくなります。また、自分が嫌っている人や思想が関係してくるときには、冷酷な結論を出してしまいやすいです。想像力が足りないのでしょうか。たとえば動物の権利や種差別といった考え方は嫌いなので、つい否定的に見てしまいます。気を付けないといけませんね。
でも、種差別っておかしくないですか? 同種の繁栄のためにほかの種を利用するのはどんな動物だってやっているではないですか。人間だけが特別という思い上がりがあるような感じがして、種差別という言葉が苦手です。
言ったはしから気を付けられてないですね。
それにしても、どうやったって答えが出そうにない問題を考えて、考えて、考えた結果ほうり出してしまうことのなんという気持ちよさ。乱暴な論で相手の言うことを否定する爽快感。これは暴力と同じですね。とても気持ちいいけれど、私の望む人間としての姿からはかけ離れています。生命倫理の本を読んでいて何度もそういった欲望に駆られました。これにも気を付けないといけません。