死ぬのは怖いし死なれるのは悲しい

こんばんは。

雷がすごいです。雨も土砂降りになったのですが、あっという間に止んで今は涼しい風が吹いています。夜中の夕立でしょうか。雨の間、蝉などの虫が何をしているのか少し気になったりもします。

今日は特に書くことがありません。
生命倫理の本の二冊目を読んでいますが、内容が死生学についてで難しいです。もっと考えなくて済むような本も買っておくべきでした。他にある本も論理学とか言語学の本なので難しそうです。爽快なミステリとか、短くてぞっとするような怪談が読みたい気分です。
死について考えることは有益だと思いますが、短い文章しか読んでいないのに考えることがいっぱいあって疲れます。なかなか納得のいく答えが出せないのでお手軽な気持ちよさも得られないのでなおさら難しく感じられます。
若い今のうちから死のことを考えておくとメリットが大きいですよね。いつだれが死ぬか分からないですもの。実際に死を目の前にしたら平常心ではいられないでしょうが、事前に考えておくことで後悔の少ない選択ができるといいな。よりよく生きようとは思わないのですが、もっと身近なところでより良い選択を積み上げたいという気持ちはあります。
死ぬのは怖いです。痛みを伴うのならもっと怖いです。何より怖いのが誰もやったことがないという点です。怖すぎる。未知なのに、必ず経験することになっている。事前に知らされていないのに、人生の締めくくりが決められている。理不尽です。いまさら死にたくないから産むんじゃないとかは言いません。生きるのはそれなりに楽しいですからね。でも、私を含めた多くの人間や動物がなんてことない顔をして死に向かって生きているのは不思議です。それほど怖がられていないのが逆に怖い。
他人が死ぬのも怖いです。結局は自分の死の怖さにつながるのですが、自分の人生からその人が一抜けすることや、死が隣にあることを思い出させてくるところが怖いです。私と仲のいい友達も、親も妹も私もいずれ死にます。悲しいですね。
死の怖いところは、後に続かないところです。そこで失敗したらそれきりの一本勝負で、死に行く誰かに私はコミュニケートしなければならない。後がないのです。本番に弱い身としては勘弁してほしいです。大切な人が死んでしまう時に、うまく伝えられなくてすれ違ってしまったらと考えると恐ろしくなります。そういった後悔を軽くするために喪に服すという行為があるのかもしれませんね。お墓や仏壇に祈ることで死後のあの人に伝えられなかったことを伝えるという考え方もあるのだろうと思います。
自分に関係のない死は興味深いです。どこからが命の終わりなのかを考えたりするのは不謹慎ですが楽しいですし、人が死ぬ仕組みは不思議です。それでも、自分の周りには降りかからないでほしいと願ってしまいます。そんなこと絶対あり得ないのにね。