会話の主導権を握れない

こんばんは。

また雨です。しばらく降り続くそうです。涼しくて助かります。このまま秋になってくれるといいです。秋はいい季節です。終わりに向かう焦燥感がありつつ、涼しくて過ごしやすいからです。

会話の主導権を握れません。突然ですが気づいてしまいました。
話していて、相手が話を終わらせたがっているのは分かるのですが、自分がまだ聞きたいことがあるときに退いてしまいます。何度も話す機会のある相手であればそれでいいのでしょうけれど、このままだと困るときがいずれ訪れるはずです。
しかし、私に主導権を握らせても仕方がないのかもしれません。話の途中で気になることがあったらそれを今すぐに解消したくなるので、話があっちこっちに行ったり来たり停滞したりしそうです。それなら話の主導権を握れる人が舵を取った方が万倍いいですね。
解決しました。やったー。

まだ死生学の本を読んでいます。
優生思想というのは恐ろしいですが、自分の中にもその傾向はあると思います。頭がいいならそれに越したことはないし、病気がないのは結構なことです。自分が優生思想のもと迫害されそうな感じでなければ、違和感を覚えることもないのかもしれません。
障害者や、障害者の家族が不幸かどうかという問いが本の中にありました。私はそれは人によると思いますし、不幸だったとしてもその理由が必ずしも障害に起因するとは思いません。完全に幸福な人生はありえません。少しでも幸福に陰りがあれば不幸とするなら、障害者やその家族が不幸だというのは間違いないのですが、それは障害のあるなしにかかわらないはずです。ちょっとずるい質問なのかもしれません。
もう少しで読み終わります。そうしたら、もう少し気楽な本を読みたいです。

そういえば、資格試験を受けました。
結果が怖いです。通知が来るまでなにをして過ごそうかな。