ザリガニ

私はザリガニを飼っている。

 ザリガニとはもう3年ほどの付き合いだ。こいつは只の甲殻類ではない。
大きさは大体40cmくらい。そんなことはしないけれど、抱きかかえるのに丁度いいサイズなのかもしれない。ザリガニには実体がない、ので重さもないし、壁や家具なんかもすり抜けてしまう。私はザリガニの飼い主だからか、さわれる。なんだかそれがなつかれている証のようで嬉しかったりする。

池に住んでいるようなザリガニが何を食べるのかは知らない(大方スルメとかだろう)けれど、私の家に住むザリガニは音を食べる。私の出す生活音を食べて生きているのだ。例えば掃除機をかけると、あの嵐のような稼働音はザリガニのはさみにつままれてそのままじゃみじゃみとした口元へ運ばれて消える。テレビの音も食べられてしまう。ザリガニをしつけることは不可能だから。だからテレビの鑑賞には字幕が欠かせない。夜中に洗濯機を回したりできるのは助かるけれど、そこばかりは少し不便だ。


ザリガニを家に残し私はバイトにいそしむ。
不思議が存在しているからと言って生活から離れられるわけではないのだ。
私の働くコンビニエンスストアは理不尽なこともない、いいバイト先なのだと思う。タイムカードは15分刻みだけど、制服に着替える時間は業務時間に入っていないけれどそんなものだろう。
今日もぐるぐると何度となく垂れ流されるBGMのルーチンを聞き流しながら働く。レジ打ち、温度チェック、清掃に前陳。ちーああっぷすりーぴじーん、裏でペットボトルの補充をしているとき気が付くと口ずさんでいた。まるで洗脳だ。

バイトを終えて、駅へ向かう。
電車に乗らないと少し遠い場所を選んだのは失敗だったな、と思いながらも2年がたってしまった。気合を出して辞めるよりもずるずると続けるほうがずっと楽なんだ。ホームに時間通りに滑り込んできた電車に乗り込む、とイヤホンをしていてもわかるくらい大きな声で騒ぐ酔っ払いがいた。ツイてない。でもこの車両が一番階段に近くなるし、たったの3駅だからわざわざ移動するのも馬鹿らしい。私は音楽プレーヤーの音量を上げる。ショパンノクターンが耳障りな笑い声と線路の音に混ざっていく。

 

駅前のささやかな賑わいに背を向けてしばらく歩くと家につく。
鍵を開けて、「ただいま」と言う。声はザリガニに拾われたらしく口から出た途端に消えていった。
コートや服を脱ぎ捨てる音も残さず捕食するザリガニを、無音の中で眺める。これも消極的ではあるけれど幸せの形なのだろうな。私はやはりこのザリガニが好きだった。